若い頃から、私は「仏の姿」に強く惹かれていました。
高校一年生の頃、はじめて自分のお金で訪れたのは京都と奈良の寺院。
静かなお堂の空気の中で、長い時間、仏像と向き合っていたことを今でも鮮明に覚えています。
当時の私は、こう思い込んでいました。
「仏画は、特別な修行を積んだ人だけが描くものだ」と。
だからこそ、心惹かれながらも、その一歩を踏み出せずにいたのです。
胸に残り続けた「迷い」
時代が進み、神仏を自由に表現する作家さんも増えてきました。
それでも私の中には、ずっと消えない迷いがありました。
「私が描いていいのだろうか?」
信仰の対象を、自分の手で描くことへのためらい。
絵描きとしての責任と、神仏への敬意。
その「あわい」の中で、私は長いこと立ち止まっていました。
再び絵筆をとった、ある静かな日
転機が訪れたのは、両親を見送ったあとでした。
しばらく筆から離れていた私の心に、ぽつりと浮かんだのは、
「仏さまの顔を描いてみたい」という、ごくシンプルな想いでした。
誰に見せるためでもなく、ただ静かに紙に向き合う時間。
その時間が、傷ついた私を少しずつ支えてくれました。
描くことが、私自身の救いになっていたのです。
職人として、表現者として
仏さまを描くときには、守るべき伝統的な様式があります。
その中で、どこまで自分らしさをにじませられるのか。
一方で、神さまの姿はもう少し自由です。
古い資料を学びつつ、今の感性で「神聖さ」をどう形にするかを探っています。
技術だけでも、精神性だけでもなく。 その二つが重なり合うところに、私の描く神仏が生まれます。
心に灯がともるような一枚を
ありがたいことに、作品を手にとってくださった方から、
「表情に癒されました」 「静かな光を感じました」
といったお声をいただくことがあります。
私には大きな力はありません。
けれど、私の描いた一枚が、誰かの心に小さな灯(ともしび)をともすことができたなら。
その願いだけが、私を今日も描き続けさせています。
この想いとともに描いた神仏画を、ショップに静かに並べています。
よろしければ、今のあなたに寄り添うお姿を探してみてください。
[ ▶ 神仏画・作品一覧はこちら ]

