【作家の想い】描き続けるという、ただそれだけのこと

【作家の想い】描き続けるという、ただそれだけのこと

私は、「天から啓示が降りてくる」ような特別な力を持っているわけではありません。


神仏を描いてはいますが、その根っこにあるのは、どこまでも“地道な職人”としての絵描きの姿勢です。

描きたいものを描けるようになるまでに、何年も何年もかかりました。


人よりも時間がかかり、器用な人なら短期間で習得できることにも、何倍もの時間をかけてきました。

何度も失敗し、自分の不甲斐なさに立ち止まることも、少なくありません。


それでも、あきらめずに描き続けてきたこと──
それだけは、私の“ひとつの才能”だったのかもしれないと、今では思います。

 


絵描きとしての「本業」を全うする

若い頃から、神社仏閣は好きでした。
制作に入る前には、心の中で「描かせていただきます」と、そっとご挨拶をします。

けれど、参拝したからといって、いきなり素晴らしい神仏画が描けるようになるわけではありません。
信仰心と画力は、別の場所で、それぞれ育てていくものだからです。

 

私の本業は「描くこと」。


どんなに強い想いを抱いても、描き手としての技術が追いつかなければ、その祈りを形にすることはできません。

だからこそ、私は今日も筆をとります。
思い通りに描けない線を何度も引き直しながら、泥くさく手を動かしつづけています。


覚悟の先に宿るもの

神仏の姿が浮かび上がってくるまで、私は何枚も何枚も、下絵を描き直します。

一瞬の奇跡のように見える一枚の裏には、数えきれない修練と、長い沈黙の時間があります。

けれど、そうして一心に描きつづけていると、ある時ふと──
「導かれているような感覚」が、そっと訪れることがあるのです。

それは突然に降ってくるのではなく、静かな鍛錬の中に、ほんの少しずつ宿っていくもの。
覚悟と決意をもって描き続けたその先に、ようやく現れてくださる──

それが、私にとっての「神仏の姿」なのだと感じています。

 


おわりに:作品を手に取ってくださるあなたへ

 

神仏を描いていると、ふと立ち止まって考えることがたくさんあります。
けれど、どれだけ思いを巡らせても──
結局のところ、私はただの一介の絵描きであり、
できることは、今日も黙々と手を動かすことだけなのだと感じます。

もし、この泥くさい道のりに共感してくださる方がいらしたら、
そんな方にこそ、私の作品がそっと届いてくれたら嬉しく思います。

あなたの日常に、静かな祈りと安らぎが灯りますように。
心を込めて、お届けいたします。


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