【作家の想い】「未熟な私が、それでも筆を執る理由」── 作品に込める、等身大の祈り

【作家の想い】「未熟な私が、それでも筆を執る理由」── 作品に込める、等身大の祈り

ショップに並ぶ神仏画をご覧いただき、ありがとうございます。 作品を通じて、よくこんな質問をいただくことがあります。

「みきさんは、特別な修行をされた方なのですか?」

けれど、本当の私は、決して立派な人間ではありません。

日常の中で感情に振り回されたり、自分の未熟さに落ち込んだり……。

そんな「かっこ悪い自分」と向き合う日々を送っています。

「こんな不完全な私が、神さまを描いてもいいのだろうか」

そう自問自答することもあります。 けれど、そんな弱さを抱えている私だからこそ、 描ける一枚があると信じています。


弱さごと、真摯に向き合う

何十年描き続けても、納得のいかない悔しさに震えることがあります。 焦りや不安が、絵ににじんでしまいそうになることもあります。

でも、その弱さを隠すのではなく、 すべてを抱えたまま、ただ真っ直ぐに神仏と向き合うこと。

泥臭く、不器用であっても、一筆一筆に「今できる最善」を尽くすこと。 その積み重ねの中にしか、宿らない温度があると思うのです。

 

「完成された人間」でなくていい

 

神仏に手を合わせるとき、私たちは完璧である必要はありません。

 むしろ、不完全で、弱くて、どうしようもない自分だからこそ、 なにか尊いものに手を伸ばし、祈るのではないでしょうか。

私は絵を描きながら、そのことを何度も教えられてきました。

私の描く神仏画は、聖なる世界を教えるためのものではなく、 私自身が救われ、高められていくための「祈り」そのものです。

 

あなたの日常に寄り添う一枚として

 

もし、私の作品を見て「心が落ち着く」と感じていただけたなら、 それはきっと、私の「未熟なままの祈り」が、 あなたの心にある光と響き合えたからかもしれません。

立派な言葉は語れませんが、 この手から生まれる絵だけは、嘘のない真実でありたい。

そう願いながら、今日もまた、未熟なままの私で筆を執ります。

 

迷いや葛藤の先で生まれた一枚が、 あなたの日常を優しく守る存在になれば幸いです

 


私の描いた絵が、誰かの心に届けばうれしいです。

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